名作SF映画『ブレードランナー』の35年ぶりの新作となる『ブレードランナー2049』が公開されました。公開されてから賛否両論の今作を、監督のドゥニ・ヴィルヌーヴの過去作と比べることで読み解いていきます。今作を観て疑問の残る方はぜひ読んでみて下さい!
映画『ブレードランナー』の歴史と特徴
リドリー・スコットが作り出したSF映画の金字塔!
出典:映画『ブレードランナー 2049』公式Twitter
今回紹介する映画『ブレードランナー2049』は、1982年に公開された映画『ブレードランナー』の30年後の物語を描いた正統な続編になります。前作は監督リドリー・スコットの代表作として、世界中のSFファンから愛されている「SF映画史に残る傑作」という作品として語られていますが、公開当時は興行的に失敗した作品でもありました。
今作『ブレードランナー2049』の世界観の特徴は?
出典:映画『ブレードランナー 2049』公式Twitter
『ブレードランナー』を語る上で外せないのが世界観です。1982年以前には存在しなかった「退廃した摩天楼」という衝撃的なビジュアルを作り出したことによって、前作はそれ以降の未来世界のイメージを決定づけたのですが、今作はどうだったでしょうか。
今作で最も印象的なイメージとして挙がるのは「雪」でしょう。これは前作のイギリス人監督作品が「雨」のイメージだったのと比較すると、監督のヴィルヌーヴはカナダ出身であり、カナダをイメージさせる「雪」によって、監督自身をKに投影させた作品と言うことが出来るかもしれません。また、主人公Kの手のひらに乗った雪がすぐに解けて消えてしまうイメージは今作のテーマ性も表しており、上手な演出になっているのではないでしょうか。
今作の未来世界観も前作のそれを大きく外すことなく、それをさらに30年進んだらそうなるであろう未来のイメージも提示しています。ラヴが眼鏡越しにミサイルを発射するシステムは現在のドローン技術が進んだ姿でもありますし、ホログラフィーのジョイがセクサロイドと重なる場面は、VRを使ったポルノ製品の発展形のようでもあります。盲目のウォレスが使用する目の代わりとなる装置も、人間の視神経に直接働きかけることが出来れば実現可能ですので、近い将来に実用化される可能性が高い装置でもあります。
今作は前作ファンを喜ばせるための作品なのか?
今作は前作の主人公デッカードが登場し、彼とレイチェルが前作の後、実は子供を産んでおり、それがもしかしたら今作の主人公Kなのかもしれない、という展開になっています。前作にも登場したガフが折り紙で羊を作るシーンなど、前作のファンへのサービスも多く、このファンサービス的な種明かしが今作の賛否を分けてしまってもいます。
しかし、筆者個人の意見としては、『ブレードランナー』という名作SFの世界観と、今作の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの世界観が混ざり合ってしまった、というところに今作の魅力はあるのではないでしょうか。
【👥各界から期待コメント続々】
「ここ十数年で一番、待ちに待っていた作品。35年という月日は、僕の作家生活と同じ長さ。1982年「面白い」という噂を聞きつけ、テアトル新宿で観たのを覚えています。こんなに早く(続編を)観れるとは思っていなかった。」(作家・椎名誠) pic.twitter.com/A8Q8S2LMGo— 映画『ブレードランナー 2049』公式 (@bladerunnerJP) September 28, 2017
ブレードランナー2049、本国では期待より評価されてない…。自分は映像と音響にドップリ浸れたから良かったけど。ただ時間が長かった。あと、物語は確かにインパクト弱かったかな。前作未見だけど「ファンサービスだろうな」というのはアリアリだった。
— 外灯 (@ga1to) November 1, 2017
ヴィルヌーヴ監督の作家性をおさらい!
常に描かれるのは「親子」の物語
出典:映画『ブレードランナー 2049』公式Twitter
ヴィルヌーヴの作家性に関しては以前書きましたが、少し言い換えたい部分もありますのでもう一度おさらいとして解説します。ヴィルヌーヴは様々なジャンルの映画を撮っており、作品の一貫性が無いように思われがちですが、彼の映画に共通しているのは「親子」の物語が出てくるということです。
『灼熱の魂』や『メッセージ』などはすぐに「親子」の物語であることが分かりますし、表面的にはその様に見えない作品でも、『複製された男』の主人公アダムは母親の支配から逃げることが出来ない男、『ボーダーライン』で最後に映るのは父親を殺された子供でした。
強烈な「母性」を持った女性たちとは?
ヴィルヌーヴの「親子」の描き方の中で特に多いのが強烈な「母性」です。『メッセージ』、『灼熱の魂』は言わずもがな、『渦 官能の悪夢』では主人公は大女優である母親という存在にプレッシャーを感じ、『静かなる叫び』では銃乱射事件の犯人は事件直前に母親に手紙を出し、なおかつ事件被害者も母親へと変化します。『プリズナーズ』では事件の中心となるホリー、『複製された男』では上記の通り主人公の母キャロラインが「母性」を象徴します。
ヴィルヌーヴの作家性を再定義してみると…?
以前の記事では彼の作品のテーマとして「幼少期、または産まれる前から歪んだ運命を歩むことが決定づけられた人々の話」という表現をしており、今回の『ブレードランナー2049』にも当てはめられる表現ではありますが、更に正確に言うとするならば、「親子(特に母子)という絶対的な繋がりが原因で、歪んだ運命から抜け出すことができない人々の話」と言うことが出来ます。
また彼の全ての作品において、「親子」における「子」の方が自分の運命から抜け出すことが出来ない、という結末になっているため、登場人物を少し見放した視点で描いている、というのもヴィルヌーヴ作品の特徴かもしれません。これら、ヴィルヌーヴ作品の特徴を踏まえた上で、『ブレードランナー2049』を読み解いていきましょう。
『ブレードランナー2049』ヴィルヌーヴ監督の女性キャラクターの扱いに今回も不満が…という声については、確かに複数箇所でもやもやはするのですが、そこはオリジナル前作からのハードボイルド、ノワール的な継承だと割り切っています。女性にとってはかなりデリケートな部分ですけれど。
— 瑠璃 (@safia0609) October 28, 2017
ヴィルヌーヴが007の次回作を監督するか否かが話題ですが、むしろ「スペクター」をヴィルヌーヴが監督してたらもっと面白くなったかもしれないと思ってます
— 元ラジオ頭 (@Headradio1991) October 30, 2017
今作を「ヴィルヌーヴ作品」として読み解くと…?
主人公Kの「歪んだ運命」とは?
出典:映画『ブレードランナー 2049』公式Twitter
主人公Kは映画冒頭からレプリカントという人造人間であることが示されます。K自身もそれを受け入れており、家ではジョイと一緒に暮らして曲りなりに幸せそうなのですが、レイチェルの遺骨を見つけて自分の生い立ちが気になったことで「もしかしたら自分は特別な存在なのかもしれない」と考えてしまいます。
この「もしかしたら~」という彼の願望は、記憶デザイナーのアナ・ステリン博士と出会うことによって残酷にも打ち砕かれます。博士こそデッカードとレイチェルの子供であり、Kは彼女を隠すための「おとり」の存在でしかなかったのです。そしてこの「自分は特別な存在ではない」という運命をKは背負うことになるのですが、これはほとんどの人間が抱く普遍的な感情でもあるのではないでしょうか。
今作における「母親」とは?
出典:映画『ブレードランナー 2049』公式Twitter
ヴィルヌーヴのテーマにおける「子」はKでしたが、「親」はシルヴィア・フークス演じるラヴがこれに当たると考えられます。彼女はレプリカントを製造するウォレス社を仕切る名前を与えられた特別なレプリカントであり、ウォレスから繁殖できるレプリカントを求められたため、繁殖の謎を解き明かす鍵となるデッカードとレイチェルの間に生まれた子供を追いかけます。
ウォレス社でウォレスが主にいる空間は室内に貯めた水の上にあり、この建物でレプリカントが産み落とされている描写などから、ウォレス社の建物はレプリカントを産むための子宮をイメージしており、それを仕切るラヴは全てのレプリカントにとっての「母親」と言うことが出来るのではないでしょうか。
Kを常に監視しているのも母親的な行動でもあり、Kにとって人間側での母親的存在であるジョシと、レプリカント側での母親であるラヴが対決する場面では、Kのことを「子供」と表現しています。この場面のラヴの衣装において、これまで白い上着の下に隠れて見えることが無かった赤い服が表出していることで、彼女の中に「母性愛」という激しい感情が芽生えてしまったことを示しています。ラヴという名前も「母性愛(Maternal Love)」から来ているのではないでしょうか。
ラストのKとラヴの対決の意味とは?
出典:映画『ブレードランナー 2049』公式Twitter
これまでのヴィルヌーヴ作品では「子」は常に「親」によって背負わされた運命から逃げることが出来ませんでしたが、今作はその様にはなっていません。ここで重要になるのがKの恋人ジョイです。ジョイはウォレス社が作ったホログラフィーのAIであり、セクサロイドのマリエッティからも「中身がない」と言われてしまいます。実体を持たず、Kに触れることもできず、単なるデータでしかない「空っぽな存在」である彼女ですが、それでもKはジョイという「空っぽ」なAIのことを愛していました。
ジョイのデータがラヴによって破壊され、Kの元に残っているのは「自分は特別な存在ではない」という残酷な運命だけです。しかし、広告用の巨大ジョイに出会い、ジョイにとってKは特別な存在であることの証である「ジョー」という名前を聞いたことで、Kはジョイのために、自分が特別な存在であることを証明するためにラヴと闘います。そして、自分の運命の象徴でもあり、母親的な存在でもあるラヴを殺すことによって、背負っていた残酷な運命から抜け出し、「特別な存在」へとなることが出来たのです。
映画『ブレードランナー2049』の個人的総評と感想
良かった点
出典:映画『ブレードランナー 2049』公式Twitter
- ドゥニ・ヴィルヌーヴが監督、リドリー・スコットが製作総指揮という今作は、両者の大ファンである私からしたら正月とお盆が一緒に来たようなもので、鑑賞中は至福のひと時を味わえる作品でした。この新旧の名監督の作家性が、Kという主人公を通して重なった、というだけでも奇跡的というしかありません。
- ジョイを演じたアナ・デ・アルマスの「空っぽ」な存在なのに必死でKを愛そうとする姿にやられてしまいました。2回目の鑑賞時には、彼女が出るシーンを観るのが辛かったです。
- 「特別な存在ではない者が、愛する者のために立ち上がる」という、人間の普遍的なテーマを描いた作品ではないでしょうか。「空っぽ」な存在のジョイのために、Kが運命に逆らう展開はとても胸が熱くなる場面でした。
悪かった点
- 前作を観ていない方からすれば、全く意味の分からない映画になっていると思います。最低限前作の内容は抑えておく必要があります。
- コアな『ブレードランナー』ファンであるがゆえに、色々と言いたいことが出てくる作品でもあります。前作の種明かしをしてほしくない人からしたら苦痛かもしれません。
- 上映時間の長さが辛い方も多いかもしれません。確かに、上映後にお尻が痛くなる作品ではあります。
100点満点中97点!
賛否両論の今作ですが、時間が経ちヴィルヌーヴ作品が理解されていくにつれて、今作の重要性が明らかになる作品だと思います。個人的には大傑作!もちろん現段階での今年ベスト作品です!
最後は多数詰め掛けたマスコミ向けにフォトセッション📸
ハリソンの笑顔、いかがですか⁉️#ブレードランナー2049 pic.twitter.com/GaEAQEhfVL
— 映画『ブレードランナー 2049』公式 (@bladerunnerJP) October 24, 2017