『猿の惑星:創世記』から始まった『猿の惑星』のリブートシリーズの最終章『猿の惑星:聖戦記』が公開されました!これまでのシリーズの魅力や特徴と、さらに今作の劇中に登場する『地獄の黙示録』へのオマージュの意味を解説していきます。
1968年から続く『猿の惑星』シリーズとは?
時代を反映した風刺映画!
『猿の惑星』シリーズとは、作家ピエール・ブールが執筆した同名小説を基に映画化されたSF映画です。一作目の『猿の惑星』(1968年)では、主人公の宇宙飛行士テイラーたちが謎の惑星に漂着し、言葉を使えなくなった人類と、人類を支配し高度な文明を築いた猿に遭遇するというストーリーですが、これは完全に当時のアメリカにおける人種差別のメタファーになっています。その他、ロボトミー手術や映画のラストで描かれる当時の危機的な世界情勢に対するメッセージなど、映画というフィクションの中で現実に対する皮肉的なメッセージを盛り込んだ「風刺映画」として一作目は世界的に大ヒットしました。
以降のシリーズ作でもこの「風刺映画」としての要素は受け継がれ、米ソ冷戦、核の脅威、ベトナム戦争、人種問題、奴隷制度など、公開当時の様々な社会問題を描いたSF映画シリーズとしてSFファンから愛されるシリーズになりました。
新シリーズは主役のアンディ・サーキスに注目
オリジナルシリーズが終了した後、2001年のティム・バートン版のリメイクの失敗を経て、新たに『猿の惑星』の新シリーズの一作目『猿の惑星:創世記』が製作されます。このシリーズの大きな特徴と言えば、モーションキャプチャーによって、フルCGで猿を表情豊かに描いているという点です。
シリーズの主人公の猿、シーザーを演じるのはモーションアクターの第一人者であるアンディ・サーキス。彼は映画『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズで指輪の前の持ち主であるゴラムを演じたことでも話題となった人物ですが、今シリーズでの演技も圧巻です。特に『猿の惑星:創世記』での、シーザーがまだ言葉を喋られない段階で、表情のみでシーザーの内面を表現する演技は、彼にしか出来ない名人芸と言わざるを得ないでしょう。今作でモーションアクターとして初めてアカデミー主演男優賞を受賞するのでは、と噂されています。
新シリーズは「ハイブリッド映画」?
この新シリーズでは、オリジナルシリーズにあった「風刺映画」的な要素は薄くなっているものの、それ以上に、様々な映画のジャンルが混ざった「ハイブリッド映画」的な要素が新しい魅力となっています。
『猿の惑星:創世記』では『フランケンシュタイン』などのモンスター映画、『ショーシャンクの空に』などの監獄脱獄映画、『アウトブレイク』などの集団感染映画など、『猿の惑星:新世紀』では、『アポカリプト』などの異文化衝突映画、更にはラストの銃撃戦は完全に戦争映画も含んでいます。
そして今回の『猿の惑星:聖戦記』では、冒頭からしてベトナム戦争映画です。また、その後は展開と言い雰囲気と言い完全に『許されざる者』などの西部劇映画へとシフトしていきます。この場面でのシーザーは、しかめっ面も相まって完全にクリント・イーストウッドにそっくりで、それを見つめるオラウータンのモーリスは完全にモーガン・フリーマン化しています。シーザーが敵に拘束された後は、『それでも夜は明ける』などの奴隷労働映画、そこから監獄脱獄映画へとシフトしていき、今作も一作で様々なジャンルの映画が混ざった、どこかお得感のある映画の作りになっています。
『猿の惑星:聖戦記』の注目ポイント!
シーザーの有終の美を見届けよ!
今シリーズの主役シーザーはこれまで比類なき統率力と知性によって猿たちをまとめ上げた、その名の通り猿の中の「皇帝」。そして、今シリーズは彼の「ホーム」を巡るストーリーでもあります。今作は冒頭で、人間からの奇襲によって彼の家族が殺されます。復讐に燃えるシーザーでしたが、これは前作において人間に対する復讐心のあまりに人間との戦争を開始してしまうコバという猿とも立場として重なります。
そして、復讐の旅の中でシーザー一行に出会う口のきけない少女「ノヴァ」との交流を通して、前作で叶わなかった「猿と人間の共生」の可能性が芽生えていきます。この「ノヴァ」という名前はオリジナルシリーズに登場する口のきけない女性の奴隷から取られています。
猿の惑星/聖戦は予告から傑作の予感しかせんのですよ…シーザーの演技すごない?目線の動きだけで彼の苦悩・葛藤・渇望が見えた…CGがすごいのか、アンディ・サーキスがすごいのか、はたまたシーザーが実在するという証左なのか…?
— 跡地 (@cacoQQ) October 4, 2017
猿の惑星 聖戦記観ました。現実世界の問題をSFの世界に落とし込んでの観せ方は原作同様素晴らしいできだったし、シーザーの物語としても巧くまとめた作品だった
— あるこる (@Alcor80) October 21, 2017
現代の「分断されたアメリカ」を象徴している?
『猿の惑星』シリーズの共通の構図として、猿と人間の対立というものがありますが、今シリーズでは前作から猿と人間の全面戦争へと突入しました。
『猿の惑星:新世紀』では冒頭に猿の住処に忘れた人間の荷物をシーザーが人間側に送り返すことで、猿と人間が政治的に牽制しあっていたのですが、今作では人間側の兵士を生還させたにもかかわらず、ウディ・ハレルソン演じる「大佐」は恩を仇で返すようにシーザーの家族を殺害します。
今作における「大佐」とシーザーの対立は、2016年の大統領選挙によって引き起こされた「分断されたアメリカ」のメタファーにもなっています。「大佐」たちは猿やウイルス患者との共生を拒み、猿たちを使って「壁」を作らせています。オリジナルシリーズにあった「風刺映画」的な要素が今作では復活しています。
猿の惑星、原作通り人種主義のメタファーだとすると大佐はトランプ、シーザーは有色人種を代表する人、実際アメリカでは白人はマイノリティになりつつある。そんなアメリカの状況を描いた映画とも考えられるな。
— たまたま (@tamtama794) October 21, 2017
【猿の惑星:聖戦記】 すばらしい。寓話として生まれたシリーズが、SF階級闘争劇となり、スペクタクル史劇を復活させる。トランプ大統領を生んだアメリカが同時期にこんな映画を作ることこそ、多様性という安全弁の証左だ。大佐の夢見る国民なき国家というおぞましいブラック・ユーモアに心が震える。
— 柴尾英令 (@baoh) October 17, 2017
『地獄の黙示録』へのオマージュの意味とは?
地下の文字の意味は?
大佐に捕獲された猿たちを助けるために、モーリスたちは檻の地下から彼らを救出しようとしますが、地下の通路には「Apocalypse now」という言葉が書かれています。「Apocalypse」とは聖書における「黙示録」、すなわち「最後の審判」を意味し、そして「Apocalypse now」はフランシス・フォード・コッポラ監督による名作戦争映画『地獄の黙示録』の原題になります。
今作ではこの場面以外で『地獄の黙示録』へのオマージュが数多くあります。冒頭のベトナム戦争のような戦闘シーンもそうですし、「大佐」のキャラ造形は完全に「カーツ大佐」から来ています。ラストのヘリからの砲撃は「ワルキューレの騎行」の場面のオマージュでしょう。『地獄の黙示録』とは別ですが、人間たちのキャンプに書かれている「良いエイプは死んだエイプだ」という言葉は、同じベトナム戦争を舞台にした『フルメタル・ジャケット』へのオマージュでもあります。
『猿の惑星:聖戦記』ウィルスはますます進化し、カーツ大佐を彷彿させる風貌のカーネル(名前は出てこない)が君臨する狂気の王国(部下達は絶対服従でウォーボーイ的)とそれを排除しようとする軍の対立からして人類の文明衰退は必至という状況は人間視点で観るとダーク。
— less than zero (@primopiatto) October 21, 2017
『猿の惑星:聖戦記』鑑賞。『キングコング:髑髏島の巨神』よりも更に率直な『地獄の黙示録』への引用が特に後半は全面展開され、シーザーと大佐が2度目に対面するシーケンスでの、ハレルソンの顔貌に施されるハイコントラスト・ライティングは、カーツ大佐の登場シーンを生真面目に踏襲している。
— Yoshihiro 13 (@lonht6) October 18, 2017
「最後の審判」とは?
『地獄の黙示録』のへのオマージュによって示される「黙示録(ヨハネの黙示録)」とは、「新約聖書」の最後の聖典であり、「最後の審判」が書かれています。「最後の審判」とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が共通して持っている終末思想的な考えで、世界の終わりが来た時に、人間は生前の行いによって天国に行くか地獄に行くか判別される、という思想です。
今作では「最後の審判」は雪崩という即物的な現象によって表現されていますが、争いに終始した人間は滅び、そして仲間たちを助けることに専念した猿たちは救われるということによって、「猿VS人間の争い」はここで決着となります。
ラストシーンのあの場所の意味とは?
雪崩から辛くも逃れた猿たちは、シーザーの息子が生前に発見したという新しい安住の地へと向かいます。そして砂漠を超えてたどり着いた場所は、湖を中心とした緑豊かな山岳地帯でした。ここはまさに一作目の『猿の惑星』の舞台となった場所であり、そして今シリーズのテーマであったシーザーの「ホーム」を巡る物語もここで終わりを迎えるのです。
シーザーは人間との戦いの中で脇腹に傷を負いますが、これはまさにロンギヌスの槍で脇腹を刺されたキリストのように、シーザーは猿たちにとって救世主となり、そして伝説として語り継がれる存在になったことを示しています。
ノヴァが示す人類の未来とは?
人間というものの未来が閉ざされたようにも見える今作ですが、しっかりと一筋の希望も描いています。口がきけない少女ノヴァはモーリスと交流するうちに、猿と手話で会話ができるようになります。そんな中、ノヴァがモーリスに「自分は猿なのか人間なのか」を問う場面、モーリスからの答えは「ノヴァはノヴァだ」というものでした。
「猿」や「人間」のように「種」として見るのではなく、「ノヴァ」や「モーリス」という「個」として見ることこそが、猿と人間の共生を可能にする、という、『猿の惑星』シリーズ全体へのある一つの答えをこの場面では示しているのです。
映画『猿の惑星:聖戦記』の個人的総評と感想
良かった点
- 今シリーズの魅力であるシーザーの男っぷりと「ハイブリッド映画」感、そしてオリジナルシリーズの魅力である「風刺映画」的要素も盛り込んで、なおかつエンターテイメント大作にまとめ上げたマット・リーブス監督の手腕は見事でした。
- 今シリーズとして申し分ないエンディングを迎えられたと思います。さらに、ノヴァとモーリスの場面は、これまでの『猿の惑星』シリーズに対する回答という点でも重要なシーンだと感じました。
- 『猿の惑星:創世記』ではシーザーの計画によって檻の中の猿たちが脱出しますが、今作ではそれの恩返しとばかりに、猿たちが主体的に脱出の計画を立てるあたりに、シリーズを通しての猿たちの成長が窺えて、胸が熱くなりました。
悪かった点
- 上映時間のタイトさが『猿の惑星』シリーズっぽさでもありましたが、今作は140分と長かったのが気になりました。今シリーズの最後なのでしょうがないのかもしれませんが、ラストにかけて鈍重に感じてしまう部分が多かったです。
- ノヴァの今後を考えてしまうと、猿たちと共に生きていくことが良いことなのか判断が難しい部分ではあります。
- いわゆる「ツッコミどころ」が無い訳ではないです。特に人間たち、自分の生命線と言ってもいい防護壁のすぐ近くに「火気厳禁」のタンクとか置くなよ!
100点満点中85点!
今シリーズの締めくくりとして大満足な最終章でした!
今シリーズでシーザーを演じたアンディ・サーキスにはアカデミー主演男優賞をあげるべきだと思います!