欧州の様々な映画賞で高い評価を受けた映画『ありがとう、トニ・エルドマン』が公開されました。ゆるいストーリーが持ち味の今作ですが、その中にもしっかりと意図を持って演出されている部分がありますので、今作のテーマと合わせて考察していきます。
愛すべきダメ親父「トニ・エルドマン」
欧州を席巻したヒューマンドラマ!
2016年の欧米の映画祭を席巻した映画と言われれば、『ラ・ラ・ランド』や『ムーンライト』を思い起こす方が多いかもしれませんが、この二本の他にもう一本、主に欧州の映画祭で高く評価された作品が、今回紹介する映画『ありがとう、トニ・エルドマン』です。
呆れるほどの下らないギャグが連発!?
今作の大きな魅力となっているのは音楽教師をしているヴィンフリートの人柄でしょう。彼は常日頃から親父ギャグを言っていないと気が済まないような、いわゆる「面白おじさん」。
しかし、彼の冗談が本当に面白ければ良いのですが、やっていることと言えば、下らない嘘をついたり、ブーブークッションでふざけたりと、どうしようもない程度の悪戯であり、観客でさえ呆れてしまうほど。ただ、この呆れるほどの下らなさこそこの映画の魅力でもあり、テーマとも関わっていると考えられます。
ヴィンフリートが大切にしているものとは?
ヴィンフリートは冒頭から下らない冗談を言ったり、家に来た子どもに音楽を教えようとし、愛犬と共に親に会いに行って、その後には元妻たちとワインを楽しみます。彼は、「純粋に人生を楽しむ」ということを大切にして生きている人物です。
特に彼が大切にしているのは家族の繋がりです。しかし、彼が大切に思っていたにも関わらず、彼の周囲にいるのは年老いた愛犬だけです。そしてこの愛犬が死んでしまったために、家族の愛を求めて娘にまとわりつくようになってしまうのです。
#ありがとう、トニ・エルドマン
観てきました。温かい親父でした。とてもユーモラスで、娘想い。そんな親父になりたい。— ケアワーカー板垣智文 (@tomofumiitagaki) June 29, 2017
映画「ありがとう、トニ・エルドマン」
父と娘。
キャリアウーマンの娘を心配する父の、数々のアクション。
そのユニークな発想に、久々に声をあげて笑った作品❕チャーミングで愛しい。
不器用な父の愛しかたに心が溶かされていく……沢山の人に観て欲しい作品です🙋🎶
#eiga— ・*:トモ・:*゚♡ (@tomoncheri) July 1, 2017
今作に見え隠れするリアルな「現実」
人間味のない娘イネス
自由奔放に生きている父親とは対照的に、娘イネスは常に仕事に追われて、父親に構うことすら面倒だと思っています(確かに、ヴィンフリートのように職場まで追いかけられると鬱陶しいとは思いますが…)。娘はバリバリのキャリアウーマンではありますが、父親のように人生を楽しむことに関しては全くの素人です。自分の取引先との会話は常にビジネスの話になってしまい、プライベートな話題になると会話が途絶えてしまいます。
コストカットのためのリストラをためらいなく実行し、部下とは表面的な会話しかできず、会社の同僚と付き合ってはいるものの彼は本当にイネスのことを愛しているようには見えません。そんな、娘を見た父は堪らず「お前、それでも人間か?」と言ってしまいます。
映画の舞台ブカレストの現実
感情を持たない娘が高いビルの窓から地上のスラム街の人々を見下ろす、という描写がありますが、この映画は欧州における格差問題も描いています。イネスの配属先であるルーマニアは、石油などの天然資源が国の重要な産業ですが、彼女の所属しているドイツ系の石油会社がそれを全て搾取します。他国の企業が参入しやすい、というEUの負の側面がこの映画に影を落としています。
映画の舞台のブカレストはルーマニアの首都であり、海外の金持ち向けのホテルや商業施設も充実しています。しかし、中心部を一歩超えれば貧しい人たちが住んでおり、映画の中でもイネスに物を売りつけようとする子どもが登場します。感情を失ったイネスは貧しい人たちを見ても何も感じず、対照的にヴィンフリートは彼らと仲良くなって果物を貰います。どちらの生き方が人間的に豊かなのかは一目瞭然です。
ブカレストの貧困、というテーマでは、2017年4月に公開されたドキュメンタリー映画『トトとふたりの姉』が傑作のドキュメンタリーになっておりましたので、もし機会があればそちらも鑑賞してみてください。
映画全体を通して描かれる確かな「親子愛」
どうしてトニ・エルドマンは登場するのか?
娘が感情を持たなくなってしまったことに耐えかねた父は、以前に増して娘の仕事中での悪戯を加速させます。その中で、トニ・エルドマンは友人の元テニスプレイヤーの話として、「彼が何十年も飼っていた亀が死んじゃったせいで、彼は今日来られなくなってしまった」というホラ話を笑いながら披露しますが、これはヴィンフリート自身が愛犬を失った悲しみと寂しさを必死で笑いに変えようとしていることを意味しており、娘もそれに気づいてか父のことを不憫に感じます。
トニ・エルドマンとは父ヴィンフリートが作り上げた実在しない人物ですが、この仮の姿を使って、父は間接的に自分のことや、娘が人間的に豊かになる方法などを伝えるのです。
映画全体で伝える親子愛
今作の上映時間は162分と一般的な映画の中では長く、しかもダラダラとトニ・エルドマンの下らない冗談や、イネスの味気ないビジネス話に付き合わされるため、映画を観ている間は退屈だと感じる観客が多いのではと思います。しかし、このダラダラと退屈だった映画は、ヴィンフリートの母親の葬式の後の、父娘の何気ない会話であっさりと、いつの間にか終わってしまいます。
この「これまでダラダラと続いていたのに、いつの間にかあっさりと終わってしまう感じ」こそ、「親子の関係」そのものを表現しているのです。子どもの側から見た親子の関係というものは、いつの間にか始まって、それが続いているうちは鬱陶しいとも思うことも多く、しかし終わってしまうと寂しくなる、という、我々観客自身の人生にも直結したテーマをこの映画全体で体現しているのです。
映画のラストの演出の意味とは?
映画のラスト、ヴィンフリートの母親の葬式の後に、ヴィンフリートは娘に自分の母の遺品を見せ、欲しいものは何でも持って行くように言います。娘は祖母の帽子をかぶり、そして父の変装のトレードマークだった入れ歯をつけて、「トニ・エルドマン」に変装します。
この場面は、これまで鬱陶しいと思っていた父親や、祖母を含めた先祖の意思を受け継ぐ、というイネスの思いを表しています。そして、自分の思いを娘が受け継ぐことを確信できたヴィンフリートは、さり気なくこの映画の舞台から去っていくのです。
細かな演出で見せるイネスの成長
このシーン以外にも娘イネスの精神的な変化を示す演出はいくつもあります。注目してほしいのは髪の毛です。バリバリのキャリアウーマンだったときは髪の毛が全く動かないような、しっかりと固めたヘアスタイルだったのですが、ラストの葬式の場面では髪を下ろして自然な雰囲気を醸し出しています。
イネスがヴィンフリートの演奏によって無理やり歌わされる歌は、ホイットニー・ヒューストンの『Greatest Love Of All』ですが、この曲は元々モハメド・アリの伝記映画の主題歌であり、一番大切な愛は自分を愛することだ、ということを歌っています。生活の全てを仕事に捧げてきたイネスは、自分らしくいるべきだということに気付かされます。
そして、イネスの誕生日パーティー。元々着づらいドレスを間違えて脱ごうとしたために、友人をトップレスの状態で迎えることになってしまったのですが、もうどうでも良いと、服を全て脱ぎ捨てて「全裸パーティー」として同僚たちを迎え入れます。忙しい仕事を捨てて、自分らしく生きることの決意を示す意味でもあります。
イネスが裸になる一方で、ヴィンフリートの変装は度を越していき、ブルガリアの精霊「クケリ」の被り物で登場した時は、本当に父が中に入っているのか分からない状態でした。しかし、中に誰が入っているのか分からない状態でも、娘は中に父が入っていると確信し、そして二人が抱きしめ合った瞬間にヴィンフリートは求めていた娘からの愛を取り戻したのです。
映画『ありがとう、トニ・エルドマン』の個人的総評と感想
良かった点
- 映画の最初から最後まで、トニ・エルドマンが繰り出す下らないギャグは個人的には楽しめました。親子関係の気まずさから生じる、笑っていいのか何なのか分からない雰囲気がとても好きでした。
- ポスターにも出ている「クケリ」姿の父と娘の抱擁のシーンは感動的で素晴らしかったです。更に、ウェットになった雰囲気を次のシーンでしっかりと笑いに変えるあたりもお見事でした。
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皆さまのご来場、お待ちしております! pic.twitter.com/p4Accp7ZQ0— ありがとう、トニ・エルドマン (@ToniErdmann2017) June 23, 2017
悪かった点
- かなりハードな性描写(というより性癖描写)があるので、その部分で不快に感じる方もかなり多いと思います。
- 前評判は高いのですが、ストーリーとしてはダラダラした話ではありますので、ハードルを上げすぎない方が良いのかもしれません。
100点満点中80点!
少し変わった雰囲気の映画ではありましたが、メッセージ的には真っ直ぐである点にとても好感が持てた良作でした。確かな親子愛を描いた映画の新定番です!