親子愛と親父ギャグは万国共通?映画『ありがとう、トニ・エルドマン』を考察してみた





欧州の様々な映画賞で高い評価を受けた映画『ありがとう、トニ・エルドマン』が公開されました。ゆるいストーリーが持ち味の今作ですが、その中にもしっかりと意図を持って演出されている部分がありますので、今作のテーマと合わせて考察していきます。

愛すべきダメ親父「トニ・エルドマン」

欧州を席巻したヒューマンドラマ!


出典:ありがとう、トニ・エルドマン公式Twitter

2016年の欧米の映画祭を席巻した映画と言われれば、『ラ・ラ・ランド』や『ムーンライト』を思い起こす方が多いかもしれませんが、この二本の他にもう一本、主に欧州の映画祭で高く評価された作品が、今回紹介する映画『ありがとう、トニ・エルドマン』です。

呆れるほどの下らないギャグが連発!?


出典:ありがとう、トニ・エルドマン公式Twitter

今作の大きな魅力となっているのは音楽教師をしているヴィンフリートの人柄でしょう。彼は常日頃から親父ギャグを言っていないと気が済まないような、いわゆる「面白おじさん」。

しかし、彼の冗談が本当に面白ければ良いのですが、やっていることと言えば、下らない嘘をついたり、ブーブークッションでふざけたりと、どうしようもない程度の悪戯であり、観客でさえ呆れてしまうほど。ただ、この呆れるほどの下らなさこそこの映画の魅力でもあり、テーマとも関わっていると考えられます。

ヴィンフリートが大切にしているものとは?

ヴィンフリートは冒頭から下らない冗談を言ったり、家に来た子どもに音楽を教えようとし、愛犬と共に親に会いに行って、その後には元妻たちとワインを楽しみます。彼は、「純粋に人生を楽しむ」ということを大切にして生きている人物です。

特に彼が大切にしているのは家族の繋がりです。しかし、彼が大切に思っていたにも関わらず、彼の周囲にいるのは年老いた愛犬だけです。そしてこの愛犬が死んでしまったために、家族の愛を求めて娘にまとわりつくようになってしまうのです。

今作に見え隠れするリアルな「現実」

人間味のない娘イネス


出典:ありがとう、トニ・エルドマン公式Twitter

自由奔放に生きている父親とは対照的に、娘イネスは常に仕事に追われて、父親に構うことすら面倒だと思っています(確かに、ヴィンフリートのように職場まで追いかけられると鬱陶しいとは思いますが…)。娘はバリバリのキャリアウーマンではありますが、父親のように人生を楽しむことに関しては全くの素人です。自分の取引先との会話は常にビジネスの話になってしまい、プライベートな話題になると会話が途絶えてしまいます。

コストカットのためのリストラをためらいなく実行し、部下とは表面的な会話しかできず、会社の同僚と付き合ってはいるものの彼は本当にイネスのことを愛しているようには見えません。そんな、娘を見た父は堪らず「お前、それでも人間か?」と言ってしまいます。

映画の舞台ブカレストの現実

感情を持たない娘が高いビルの窓から地上のスラム街の人々を見下ろす、という描写がありますが、この映画は欧州における格差問題も描いています。イネスの配属先であるルーマニアは、石油などの天然資源が国の重要な産業ですが、彼女の所属しているドイツ系の石油会社がそれを全て搾取します。他国の企業が参入しやすい、というEUの負の側面がこの映画に影を落としています。

映画の舞台のブカレストはルーマニアの首都であり、海外の金持ち向けのホテルや商業施設も充実しています。しかし、中心部を一歩超えれば貧しい人たちが住んでおり、映画の中でもイネスに物を売りつけようとする子どもが登場します。感情を失ったイネスは貧しい人たちを見ても何も感じず、対照的にヴィンフリートは彼らと仲良くなって果物を貰います。どちらの生き方が人間的に豊かなのかは一目瞭然です。

ブカレストの貧困、というテーマでは、2017年4月に公開されたドキュメンタリー映画『トトとふたりの姉』が傑作のドキュメンタリーになっておりましたので、もし機会があればそちらも鑑賞してみてください。

映画全体を通して描かれる確かな「親子愛」

どうしてトニ・エルドマンは登場するのか?


出典:ありがとう、トニ・エルドマン公式Twitter

娘が感情を持たなくなってしまったことに耐えかねた父は、以前に増して娘の仕事中での悪戯を加速させます。その中で、トニ・エルドマンは友人の元テニスプレイヤーの話として、「彼が何十年も飼っていた亀が死んじゃったせいで、彼は今日来られなくなってしまった」というホラ話を笑いながら披露しますが、これはヴィンフリート自身が愛犬を失った悲しみと寂しさを必死で笑いに変えようとしていることを意味しており、娘もそれに気づいてか父のことを不憫に感じます。

トニ・エルドマンとは父ヴィンフリートが作り上げた実在しない人物ですが、この仮の姿を使って、父は間接的に自分のことや、娘が人間的に豊かになる方法などを伝えるのです。