ミニシアター系の映画でありながら異例の大ヒットとなった『この世界の片隅に』。いったいこの作品の何が良かったのか、多くの人の心を掴んだのかについて、感想とともにまとめてみました。すでに観られた方は、同意や共感、あるいは新しい発見などしていただけると幸いです。ネタバレありですので、未見の方はご注意を。
記事の目次
映画『この世界の片隅に』とは
クラウドファンディングで制作された戦争もののアニメ映画
こうの史代原作、片淵須直監督(『BLACK LAGOON』、『マイマイ新子と千年の魔法』)によるアニメ映画。太平洋戦争中、広島の呉市に若くして嫁いだ少女・すずの日常を描いています。
映画制作の資金集めのめどが立たなかったため、クラウドファンディングで一般に出資を募ったところ、何と8日間で2000万円が集まりました。これは映画制作のクラウドファンディングとしては異例の大成功であり、『この世界の片隅に』のアニメ化を多くの人が町望んでいたということの証拠でもあります。その後、実質引退状態だった女優「のん」の復帰作であり声優業での初主演作ということでも話題を集め、多くの人に見守られながら映画は完成。2016年11月12日に公開されました。
口コミで広まり大ヒット&国内外で絶賛
公開後は口コミで面白さが広まり、第40回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞をはじめとする多くの賞を受賞。興行収入25億円とミニシアター系の映画としてはけた違いの大ヒットとなりました。この大成功の理由は何だったのか。感想を交えつつ考察したいと思います。
原作|こうの史代独特の他の戦争ものにはない切り口
当時の普通の少女の普通の生活に多くの人間が共感
作品のヒットもクラウドファンディングの成功も、何よりまず原作の素晴らしさあってのことです。原作漫画は戦時中の広島(県)を舞台にしながら、悲劇性を強調せず全く別の切り口で人を感動させた異色作であり、だからこそ多くの人間の共感を得ました。
原作者こうのがこの作品でスポットを当てたのは、戦争中のひとりの普通の少女の暮らしです。主人公のすずがよくわからないまま広島市から呉市へ嫁ぎ、慣れない家事や小姑の嫌味に試行錯誤しつつ牧歌的に送る新婚生活。時代によって道具や方法に違いはあれ、それは多くの日本人に共感できるものでした。またすずの少しぼーっとした性格も好ましく、かつ戦争という大事にあまりピンとこない庶民の視点から描くのに最適だったと言えます。だからこそ、他の戦争ものとは違うリアリティをもって、読者や観客たちの心に迫ったのです。
徹底した時代考証に裏打ちされた日常描写が興味深い
とはいえ、あえて戦時中を舞台に選んでいるのですから、単なる若妻の新婚日記ではありません。戦時中は現代に比べれば物資も足りず不便なこともたくさんありました。それらを乗り切るための新米主婦なりの知恵と工夫は、知らない人間にとっては非常に興味深いものです。
こうの史代はこの作品を描くために、当時を知る人々に取材をしたのだそうです。もちろん文献もあさり、その結果漫画の中に当時の生活様式をリアルに再現しています。それらの描写は主人公と同世代の人間には懐かしくリアルに感じられるでしょうし、当時を知らない人にとってはキャラクター自体を身近に感じる手がかりとなりました。
こうののこういった作品作りの姿勢は、映画制作にも受け継がれます。
スタッフ|原作に惚れ込んだ片淵監督らのこだわり
「片隅」を表現するため「世界」にこだわった片淵須直監督
「この世界の片隅に」世界は小さく見える。それはすずさんの見た事で物語られるから。でも奥行きと広がりは果てが無いように見える。過去の史実の影響の行き着く先の「現在」としてすずさんと北條家の人達が生きている。それは軽く明治期までは遡れる。
— M.S+. (@mdsch23) May 7, 2017
昨日の片渕監督の講義、漏れ聞こえる報告を纏めると「ランドマークを劇中に頻出させることで、そこを中心とした空間(地理)を観察者に認識させる」言うことでええん?この世界の片隅になら三ツ蔵やら段々畑、ブラクラだとロアナプラ湾入り口の石像とか。
— えら@ゲームとアニメ垢 (@eraabu) May 7, 2017
片淵須直監督は、原作とこうの史代の作品世界に惚れ込んで『この世界の片隅に』の映画化に着手したのだそうです。彼が原作に向き合いアニメ化を構想したとき、大事にすべきだと感じたのは、「世界」と「片隅」の関係だといいます。
戦争が起こっている「世界」があるからこそ、すずの生きる「片隅」がある。だから世界や戦争についても綿密な下調べをして描かなくてはならないと、片淵監督は考えたのだとか。もともと『BLACL LAGOON』で兵器オタクをうならせた彼のこと、『この世界~』では軍艦や軍用機、爆弾なども時代考証を徹底して再現しました。ほとんど背景としてしか描かれないのに、このこだわりは作品を大切にしているからこそです。こうのの作風からは考えられないこだわりポイントですが、それこそが片淵がメガホンをとった意義ではないでしょうか。
キャラクターの“生きた” 動きの秘密は夫婦の共同作業?
片淵監督がこだわったのは、軍事的な描写だけではありません。こうのが執筆時に調べた当時の風俗についても、映画で色を付け動かすにあたって納得するまで調べたのだそうです。その結果、すずらすべてのキャラクターはほんの些細な所作さえリアルで、つい見入ってしまうような愛らしさを得ました。これらを原作同様に何気なくさりげなく描き動かすのがまた、この作品のすごいところです。
もちろん、監督補と画面構成を務めた浦谷千恵の作画力もその魅力の多くを担っています。原作者のこうの曰く、つい絵の世界に入ってしまうすずのイメージに浦谷がピッタリなのだとか。初顔合わせにおいてはこうのの発言を受けて浦谷は即イメージを絵に落とし込み、かつすずの動きは半分以上を担当したということからも、その貢献度の高さは量れようというもの。しかも兵器や軍艦などの作画も得意とのことで、まさにこの人なくしてあの感動的な作画はなかったといえるでしょう。
ちなみに浦谷千恵は片淵須直の妻で、『この世界~』の映画の構想の段階から相談に乗って意見を交わしていたのだということです。
エンディング|心に届く歌詞とアニメーションの意味
観た人にしかわからない感動のエンディング
【コトリンゴ⑧】音楽の持つ力…終盤での『右手のうた』、アンコールでの『たんぽぽ』など聴き惚れ、涙しながらも、この世界の映画を観ている錯覚を起こすくらいにリンク、シンクロしたライブは今まで体験したこともない素晴らしい時間でした🌟しっとりとした矢野顕子さんのようでもあり、重なりました
— 山西啓三 (@lazarustaxson12) March 22, 2017
作画の美しさや印象的なシーンなど、拾っていくときりがありませんが、その中でも特筆すべきは、エンディングではないでしょうか。コトリンゴの繊細な曲と歌声、そしてシンプルなアニメーションに感動しなかった人の方が少ないでしょう。泣けるというよりは、心の内側の何かがはらはらとはがれていくような、歌詞や動きのひとつひとつが心の奥まで届くような感覚。これは本当に、観た人にしかわからないと思います。
この映画が口コミで広まっていったのは、こういった観なくてはわからない魅力が全編にわたってちりばめられているからではないでしょうか。長文の感想を描いている人もいるにはいますが、多くの人が作品全体に対しては「感動した」「最高だった」としか言えないのも、同じ理由だと考えられます。本当に、最初から最後まですべてが素晴らしいのです。その最たるものがエンディングであり、その感動は言葉では到底語れません。
すずにとっての「みぎて」の意味を考察
「この世界の片隅に」の主人公は、確かに「状況」に適応する能力はズバ抜けている。「我慢して、耐え忍ぶ」という意味において彼女の忍耐力はすごい。が、でも本当にそれは我慢すべきことなのか。社会の方が変わるべきなんじゃないか。という感覚が恐ろしいほど欠落している。のは怖いことだと思った。
— ドリー (@0106syuntaro) May 7, 2017
この世界の片隅に のクライマックスでのすずさんの慟哭はまさにこの事を述べていますね。批判もありますが個人的には原作より納得の行く、表現を引っ込めたようで実は踏み込んでいるセリフだったと思います https://t.co/FumpiTQsbq
— Shoichi Ikeda (@tamatanu) May 6, 2017
すずの失った右手が語り手となった原作の詞をアレンジしたエンディング主題歌『みぎてのうた』。これは作品のテーマをまとめ、物語を未来につなげる大事な役目をします。
すずが様々な不便や苦境にあってもどこか現実味なくいられたのは、彼女の絵の世界へ入り込む妄想癖ゆえでした。彼女は絵さえ描ければ毎日が平和で、明るく笑っていられたのです。しかし彼女は不発弾の爆発で右手を失います。そして逃避するための絵の世界を失い、彼女は今まで自分をだまし続けていたことを痛感するのです。すずの初めての嗚咽と叫びは、「片隅」で暮らしていた少女が暴力的な形で「世界」にさらされたことを意味しています。
右手を失い現実に気づいたすずは、初めて絶望に泣き叫びます。やけになり、それまでためていた夫・周作への不満もぶつけます。それまでの彼女からは考えられない険しい顔を見せます。しかしそんな彼女を生かしたのが、『みぎてのうた』に綴られたモノローグなのです。世界の片隅にひっそりと暮らしていた少女が、今度はちゃんと現実に自分の生きる意義を見つけ、自分の意志で生きていくのです。
感想|押しつけがましさのない自然体の感動
この世界の片隅にのすごい所は、ここで泣かせてやろうとか感動させてやろうとか、教訓を入れてやろうとかそういった変ないやらしさが無くて、極限まで自然体であるということだと思う。
そんなことができるのは相当稀有なことだ。
話題となった色々な映画を観るたびにそう感じる。— 春の息吹 (@harunoibuki777) May 14, 2017
これはおそらく、この作品に触れたすべての人が共感できる感想でしょう。『この世界の片隅に』はすべてが当たり前のようにさりげなく描かれていて、泣かせようという狙いが全く感じられません。それでいて感動させるというのが、本当の名作なのでしょう。
また、親世代、祖父母世代とも楽しめるという感想も多く見られました。普遍的なテーマと誰でも共感できる視点ゆえでしょう。すずの手際の悪い家事にツッコミを入れているご老人もいたとのことで、これは原作者や製作スタッフの入念な下調べが実を結んだと言えそうです。
昨年、母に『この世界の片隅に』のムビチケをプレゼントして喜んでくれたことを、その後自分でお金を払ってさらに2回も観に行ってくれたことを、今後人生の中でこの作品に触れるたびに思い出すのかな。親世代と話題を共有できる作品と初めて出会えたことに感謝しています。
— たけうちんぐ (@takeuching) May 7, 2017
TLを見てると、このGWに映画「この世界の片隅に」の聖地巡礼をしてる人が沢山居る事を知る。私も2回観たが、私の中でも歴代アニメ1位の本当に素晴らしい映画だった。全国から、広島市、呉市に訪れて頂き、とても嬉しい気持ちになる。ありがとうございました。またお越しください。
— もことら 6 (@mokotora_6) May 6, 2017
今年は呉市への訪問者数が大きく増加したそうです。映画公開に先駆けた作品展や聖地巡礼アプリなども理由のひとつでしょうが、作中で人々と町が生き生きと描かれていたことに勝る理由はないと思います。作品を観ると、呉市に行けばすずたちに会えそうな気がするのです。
この世界の片隅にが素晴らしいと感じたのは、のんさんの声と共にきちんとしたキャメラワークが揺るぎなく在ったから。
それは片渕監督の胡座をかいたどっしりとした演出姿勢があってこそだと今でも確信している。— ふにゃはな。 (@nu_sanu_sa) May 4, 2017
映画館でこの世界の片隅でを観てきました。①音楽のクオリティやたら高い②のんの演技(声優)がなんか天才的に良い③熱心に取材したらしくいちいち設定が具体的④小さいエピソードが絵巻物みたいに次々に起こるんだけどそれぞれの描写が細かいので結果的にやたら密度が濃い⑤地に足がついてる印象。
— きーさ (@sensationsaki) May 3, 2017
この世界の片隅に の細谷さんの声、良かった…落ち着く、安心するような声だった…
体調が万全になりますように。— サク@いつよし (@___vb_ht_saku) May 1, 2017
『この世界の片隅に』の映画化を早くから応援していたのが、主演ののんのファンたちでした。監督はすずの声優を誰にするか考えに考えた末にのんを起用したというだけあって、声優初挑戦とは思えぬ名演。すずのゆるい雰囲気にぴったりで非常に好意的に受け入れられました。また周作役の広島出身声優・細谷佳正はさすがとしか言いようのないハマりっぷり。
『この世界の片隅に』をまだ観ていない人たちへ
現在国内の劇場でもロングラン上映中の『この世界の片隅に』。数々の賞を受賞し、海外でも注目され何か国かではすでに上映が決定しています。戦争という題材だからではなく、これは作品自体の魅力ゆえです。
本当に実際観なくては良さの解らない映画であり、かつ老若男女誰の心にも優しく沁み入る映画だと思います。だからできるだけ多くの人に観てほしい。普段は漫画・アニメ・映画にほとんど触れないという人たちも、ぜひ劇場へ足を運んでください。