映画『シン・ゴジラ』のラストシーンの尻尾に付いている人間らしき姿はネット上などで大きな話題になりました。今回はこのラストの尻尾の意味を、牧元教授が船内に残した「春と修羅」と合わせて考察し、ゴジラの正体と庵野秀明の作家性に迫ってみたいと思います。
記事の目次
あなたは何人見つけた?隠れキャスト紹介!
映画『シン・ゴジラ』では総勢329名というキャスト陣の多さが話題となりました。有名人にも関わらず出演時間が数秒だけというキャストも少なくありません。そんな有名人キャストを何人か紹介します。
前田敦子
言わずと知れた元トップアイドル。数々のプレッシャーに打ち勝ってきた彼女も、ゴジラの出現によるトンネル事故の前ではパニックにならずにはいられませんでした。一瞬しか映らないのでコマ送りで確認してみてください。
ゴジラに前田敦子いたの!?
— イルカ (@ruka_niwaka) April 8, 2017
シンゴジラ、一瞬しか映ってないようなモブの配役がやたら豪華らしいですね
一瞬だけ映る前田敦子とか— 203mm連装砲@ろぜ (@ro_z7) April 21, 2017
斎藤工
今をときめくイケメン俳優は、陸上自衛隊第1戦車中隊長として、タバ作戦の戦車部隊の指揮を執ります。ピエール瀧とともに美味しい役でしたが、ゴジラの逆襲によって橋桁の下敷きに…。
シンゴジラ、もう10何回も見てるけど斎藤工が出てたの今さら気がつきましたw
— ユニコ(12/13下北沢ReG) (@deadrockcity) March 30, 2017
3人の生物学者
ゴジラの正体が不明の段階の有識者懇談会で、総理官邸に招集される3人の有識者を演じているのは3人とも映画監督です。
1人目に意見するのは犬童一心。代表作は『ジョゼと虎と魚たち』。2人目は緒方明。代表作は『独立少年合唱団』。最後に意見するのは原一男。代表作は『ゆきゆきて、神軍』です。3人とも名作を撮ってきた映画監督ですが、劇中では何の役にも立ちませんでした。
シン・ゴジラ、
塚本晋也さんや岡本喜八さん(写真だけだけど)が主要人物として出演している事もお二人が、映画監督ってのも知らない人、多そうな気がした。
序盤に出てくる有識者3名は、犬童一心、原一男、緒方明、みんな映画監督です。
松尾スズキさんも映画監督だしな。— Toshi_3 (@_Toshi_3_) August 14, 2016
牧元教授の写真の人は誰?
映画の鍵を握る人物としてゴジラの研究を行っていた牧吾郎という人物が浮かび上がってきます。劇中、彼の顔は写真のみで明らかになるのですが、この顔写真の人物は岡本喜八という映画監督です。監督の庵野秀明は岡本喜八の影響を強く受けており、今作も『日本の一番長い日』や『激動の昭和史 沖縄決戦』などに見られる、政府の中枢の人物たちによる群像劇という点などの類似点も指摘されています。
シンゴジラ、「日本のいちばん長い日」ぽさあるな〜〜って思っていたら、牧博士の写真は岡本喜八監督だったということを今知って、なんか嬉しい
— いちまっつぁん(市松椿) (@tsubakiya_tea) October 9, 2016
ああいう「事態に対応しきれない大人たちが冷や汗かくモノ」としては牧五郎教授役で写真だけ出演していた岡本喜八監督の作品でありシン・ゴジラでもかなり色濃くオマージュされていた『激動の昭和史 沖縄決戦』をお勧めします。こちらは想定していた事態への完全敗北なだけにグズグズ感もひとしおです
— ネルソン・やんづか・ソウトマイオール (@Iron_Duke_ynzk) January 12, 2017
ラストの尻尾はなに?牧元教授が残した謎
グローリー丸に残したヒント
ゴジラ出現の直前に、海上自衛隊がグローリー丸という小型船舶の中で牧元教授の遺留物を発見します。最終的にはこの遺留物がゴジラを倒すヒントになるのですが、彼の行動には謎が多く、ネット上などで様々な憶測が飛び交いました。
ネット上に広がる「ゴジラ=牧元教授説」
特に彼に関して多いのは、ゴジラの正体は牧元教授なのでは?という憶測です。映画のラストの人間らしい形のものがゴジラの尻尾と同化しているシーンを観ると、ゴジラには人間的な要素が含まれており、それはゴジラの研究をしていた牧元教授だ、と言える気もします。筆者である私もこの説には説得力があるように感じます。
しかし、なぜゴジラを出現させる必要があったのでしょうか。日本政府に恨みを持っていたから東京を破壊しに来た、という意見もあります。劇中でもそのようなことは言及されていましたが、妻を亡くした人物が多くの市民を犠牲にさせるような破壊行為だけを目的とするとは考えにくいです。この、ゴジラを出現させる目的さえ明確になれば、ゴジラの正体は牧元教授だ、とはっきり言えることが出来るのではないでしょうか。
シン・ゴジラ第5形態から生えてる人体部分の情報源は牧教授だと思うんだ
— NOB (@NOB_TN0000) February 19, 2017
取り敢えず第4形態のあの怒りやら憎しみで歯を食いしばっているような表情から、俺は海洋生物のの細胞を取り込んだ牧元教授こそがゴジラの正体だと思うことにしてる#シンゴジラ #シン・ゴジラ
— クラムボン (@highighigh999) April 10, 2017
牧元教授のヒント『春と修羅』とは?
「春と修羅」ってどんな作品?
牧元教授の行動の目的を理解するために、彼が残した遺留物に注目してみましょう。グローリー丸の中にあったのは、宮沢賢治の詩集、『春と修羅』でした。この詩集は1924年に宮沢賢治が自費出版したものですが、この詩集を刊行した背景には、賢治の妹のトシが1年半前に亡くなった、ということがあります。
この詩集を賢治は「心象スケッチ」と呼び、彼の心の中の世界をそのまま言葉にした詩を集めた作品になっております。特に、表題にもなっている『春と修羅』という詩では、文面全体がうねっており、妹トシの死の直後の賢治の内面の動揺を伺い知ることが出来るのですが、この詩が重要なのは、賢治の内面の世界が崩壊していくも、ささやかな希望だけは残っている、という内容の詩であるという点です。
『春と修羅』の内容の解釈に関しては、参考にさせて頂いたブログがありますので、そちらをご参照して頂ければと思います。
劇中曲『Who will know』
『春と修羅』の詩の内容と似ている歌詞も劇中で登場します。ゴジラが放射熱戦で東京を破壊するシーンに流れる『Who will know』という曲の歌詞です。この曲の歌詞とそれの和訳が載っているブログもございますので、そちらをご参照ください。
【関連リンク】シン・ゴジラ「Who will know」が輪唱なのを足場に和訳と解釈をしてみる
この『Who will know』という曲は男女の輪唱になっており、上記のブログでも述べている通り牧元教授とその妻の思いを表していると考えられます。
牧元教授、宮沢賢治に共通する思いとは?
『春と修羅』と『Who will know』に共通することは、それぞれ愛する人を失ってしまった悲しみで自分の世界が崩壊していく様子と、それでもなお、わずかに希望はあるということを示している点です。
では、牧元教授にとっての希望とはなんだったのでしょうか?ここで、庵野秀明の代表作『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する碇ゲンドウに注目したいと思います。
『シン・ゴジラ』と『新世紀エヴァンゲリオン』の共通点
妻を失った男 碇ゲンドウ
碇ゲンドウという人物も、宮沢賢治や牧元教授と同様、妻であるユイを失っており、彼女に会うために「人類補完計画」を遂行しようとします。「人類補完計画」とは何かという問いに対しては明確な答えが出ていないので答えられないのですが、大雑把に言うならば、人類の元である「生命の実」と、使徒の元である「知恵の実」を融合させて、人類をより高次元の存在へと導く計画、とさせて頂きます。
碇ゲンドウは、愛する妻を失い自身の世界が崩壊していく中で、この「人類補完計画」を遂行することだけを希望に生きていきます。
「人類補完計画」のためのエヴァンゲリオン
エヴァンゲリオンは使徒対策用の兵器でもありますが、この「人類補完計画」の依り代となる存在として開発されました。そして、このエヴァの中に「生命の実」と「知恵の実」を融合させ、人類を新しい存在へと導くのですが、これを映画『シン・ゴジラ』に当てはめて考えてみると、ゴジラの正体への道筋が立てられるように思います。
「生命の実」とは人間を意味しており牧元教授自身です。「知恵の実」は科学、核エネルギー、牧元教授の研究を意味しています。この2つの融合の依り代となったのがゴジラなのではないでしょうか。そしてゴジラが破壊と同時に人類にもたらしたもの、それは放射能汚染の無い新しい核エネルギーでした。
この説が間違いだとしても、ゴジラが『新世紀エヴァンゲリオン』におけるエヴァと同じ立ち位置にいることは間違いありません。劇中、矢口がゴジラについて、「破壊者であると同時に、人類にとっての福音でもある」と言います。「福音」はギリシア語で「euangelion」、もちろん「エヴァンゲリオン」の名前の由来になった言葉です。
牧元教授の目的とは?
ゴジラ出現の流れ
これまでの考えをまとめて、ゴジラの出現までの流れを考えてみました。
- 放射能廃棄物からゴジラの原型となる生物が出現、米国が調査に乗り出す。
- 牧元教授も調査に参加するも、妻が放射能汚染に遭う。
- 妻の死後、牧元教授は妻を死に追いやった放射能の研究を始め、放射能汚染の無い新しい核エネルギーを発生させる方法を発見した。しかし、それはゴジラの原型となる生物と人間を融合させ、それを媒介に発生させる、という方法だった。
- 牧元教授は自身を犠牲にゴジラの原型となる生物と融合しゴジラを出現させる。牧元教授の人間の要素が無生殖で増殖し、尻尾に人間の姿が確認できるようになる。
- 本来の目的である放射能汚染の無い新しい核エネルギーを人類にもたらした。
ゴジラとは、牧元教授の目的ではなく手段だったのではないでしょうか。自身を犠牲にして人類に新しい核エネルギーをもたらすことこそが、牧元教授の真の目的だった、というのが私の考えです。
折り鶴に込められた思い
グローリー丸には折り鶴も残されていました。映画では解析図の解読のヒントとして扱われていましたが、折り鶴にはもう一つ、広島の『原爆の子の像』に象徴されるように、核兵器で亡くなった人々への追悼の意味もあります。放射能汚染による被害者をこれ以上出したくないという牧元教授の思いです。
「破壊」と「一筋の希望」。庵野秀明の作家性
破壊の象徴であるゴジラを呼び起こし世界を破壊した後、一筋の希望が残る。これは『春と修羅』の世界観とも重なります。「修羅」とは激しい感情の表れであり自身の世界の崩壊を意味し、「春」とは新しい生命の息吹の象徴です。これは『新世紀エヴァンゲリオン』にも通じるものです。
『風の谷のナウシカ』の巨神兵を担当した時から、庵野秀明は破壊描写が突出しており、「破壊」と「一筋の希望」という物語こそ庵野秀明の作家性なのではないかと考えられます。映画『シン・ゴジラ』は従来とは違うタイプの娯楽映画でしたが、これまでの娯楽映画の常識を壊し、日本映画界にとってまさに「福音」だったことは言うまでもありません。この映画をきっかけに、日本の大作娯楽映画は変わっていくことになるでしょう。