謎の多いジブリ映画『風立ちぬ』を『ファウスト』から読み解いて考察【前編】

現時点での宮崎駿最後の作品となっている『風立ちぬ』。表面的に観ると意味が分からない場面がいくつかある今作ですが、古典的名作『ファウスト』という物語を切り口にどのような映画だったのかを解説していきます。これを読めばもう一度『風立ちぬ』を観たくなるかも!?

謎の多い映画『風立ちぬ』を解説


風立ちぬ [DVD](出典:Amazon)

先日、「引退宣言」をしていた宮崎駿が長編アニメーション映画へ復帰する、と報じられ、宮崎アニメの新作への期待が高まっているファンも多いかと思います。そんな宮崎駿の現時点での最後の作品「風立ちぬ」は謎の多い作品で公開当時から賛否両論でした。

宮崎駿の復帰を祝しまして、謎の多い映画「風立ちぬ」の解説を前後編に分けて行っていきます。前半である今回は『ファウスト』という古典的物語を切り口に『風立ちぬ』を見ていきます。

『ファウスト』とは?

カプローニ=メフィストフェレス


風立ちぬ カプローニとの出会い(出典:Amazon)

カプローニの声を担当した野村萬斎に対して、宮崎駿は演技指導として「カプローニは堀越二郎にとってのメフィストフェレスだ」と言っています。メフィストフェレスとはドイツの文豪ゲーテが十九世紀に発表した『ファウスト』という戯曲に登場する悪魔です。実際に劇中のカプローニも、どこか悪魔のような雰囲気を漂わせており、観客側が彼を善人なのか悪人なのか判断しかねるような描き方になっています。

『ファウスト』のあらすじ

『ファウスト』とはこのような話です。老学者であるファウスト博士はこの世のあらゆる学問を極めるも、それは頭の中の知識としてでしかなく人生での実体験は全く無かった。そこへ、悪魔メフィスト(フェレス)がやってきて「俺の力を使ってお前に人生の全てを体験させてやる。その代わりにお前の死後、お前の魂は俺のものだ」との交換条件を提示します。ファウストはこれを承諾し、人間が体験しうる全てを体験していくことになります。

メフィストの力によって若返ったファウストは、グレートヒェンという街の少女と恋に落ち、2人の間には子どもができます。しかし、この恋愛の犠牲として彼女の母と兄が死んでしまい、気が狂った彼女は子どもも殺して死刑囚となってしまい、牢獄の中で死んでしまいます。

ファウストはその後もメフィストと様々なことを経験しますが、最終的に死んでしまい、メフィストに魂を渡さなければならなくなってしまいます。メフィストによって地獄へ連れて行かれるファウストでしたが、突然現れたグレートヒェンによってファウストの魂は救われ、彼は天国へと昇っていくのでした。

『ファウスト』が意味していることとは?

あらすじだけ読んでみても、ファウスト博士は自分の欲求を満たすために随分と酷いことをしています。これは男性的な行動の象徴とも言われています。これまで制御されていた欲求がメフィストによって解放され、その欲求を満たそうとするために周りの人間を傷つけていく男です。

これはゲーテが生きた時代のキリスト教の考えでは地獄に行くべき男です。しかし、最後に彼が天国へ昇れたのはグレートヒェンのおかげです。彼女の愛による恩寵によって地獄へ行くべき男の罪が赦されるのです。

『風立ちぬ』の各シーンを『ファウスト』と比較してみる!

「風立ちぬ、いざ生きめやも」の意味とは?

映画の冒頭、上記の言葉が出てきます。これはフランスの詩人ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』の一節を小説版『風立ちぬ』の著者堀辰雄が訳したものです。「生きめやも」は誤訳との意見もあるので、原文の意味を見てみると「風が起きた、生きなければならない」という意味になります。

ここでいう「風」とは「夢」や「情熱」を意味しています。つまりこの映画は「夢を実現させるために生きる男の話」ということになります。

このテーマだけだと一見素晴らしい話の様に思えるかもしれません。しかし、この映画は「夢」に向かって生きることの素晴らしさと、それによって犠牲になるものを描いています。つまり、「夢」や「情熱」というものが本質的に持つ光と影の部分を描いているのです。

二郎少年の「夢」や里見菜穂子と出会い

映画の冒頭、飛行機の夢を見た二郎少年は飛行機に対して「夢」を抱く。しかし、飛行機に乗れるのは彼の頭の中だけで、現実の彼は目が悪く飛行機に乗って操縦することはできない。しかし、夢の中でカプローニから「設計者になって理想的な飛行機を作る」という「夢」を抱かされる。これは、『ファウスト』の冒頭、現実世界を体験できていなかったファウストがメフィストの力でこの世のあらゆることを体験していくことと重なります。

「夢」に向かって邁進する二郎は三菱に入社し、ドイツに留学するなど様々なことを学びます。そして里見菜穂子と出会い、恋に落ちるのですが、菜穂子は結核にかかってしまいます。彼女は一時、療養施設にいたものの、二郎には自分が必要であると悟り、次郎の元へ向かいます。そして次郎の「夢」であった零戦が完成した後で、人知れず療養施設へ戻り死んでしまうのです。菜穂子は『ファウスト』におけるグレートヒェンであると言えます。

ラストシーンでの菜穂子が残した「生きて」の意味

映画のラスト、この世とは思えぬ草原を二郎が歩いていると、彼の元にカプローニがやってきます。しばらく話していると菜穂子も登場し、「生きて」との言葉を残して消えてしまいます。これも『ファウスト』のラスト、メフィストによって地獄へ連れて行かれる予定だったファウストが、突然現れたグレートヒェンの赦しによって天国へ行く場面と重なります。

菜穂子の「生きて」という台詞によって最後の部分の意味が本来とは逆になっていますが、絵コンテの段階ではこの台詞は「来て」でした。これが意味していることは明らかです。しかし、「来て」バージョンを作ってみたら、表面的に観て何が何だか分からないシーンになってしまったため、「生きて」という台詞に変えたら上手くいったのでこのラストになった、と宮崎駿はインタビューで答えています。

物語ラストの草原はどこなのか?

宮崎駿は引退会見でこの『風立ちぬ』のラストについて「あの草原は”煉獄”です」と言っています。「煉獄」とはキリスト教の死後の世界における天国と地獄の間の部分です。天国に行くか地獄に行くかの判断が曖昧な死者はこの煉獄でどちらに行くべきか判断されるのです。二郎は菜穂子の愛によって救われることになるのですが、本来はどちらに行くべきだったのでしょうか?

堀越二郎は善人?悪人?

二郎のエゴと、それを受け入れる菜穂子


ジグソーパズル 風立ちぬ 初めての飛行機(出典:Amazon)

映画の中で議論となった場面があります。結核で寝込んでいる菜穂子の横で作業している二郎が、「タバコ吸っていい?」と聞いてタバコを吸い始めます。このシーンに対し日本禁煙学会などからの批判が相次いだのですが、このシーンは意図的にこのような演出になったのです。

タバコを吸わずにはいられない二郎と、自身が結核を患いながらもタバコを吸う彼を愛してしまった菜穂子、という本来ならば相容れるべきではなかった2人が、それでも相容れずにはいられない様子を描いた場面です。

この映画を通して、二郎ははっきりとは良い人とは言い難い人物になっています。それどころか菜穂子と一緒に暮らしていることを妹の加代から「自分勝手だ」と非難されます。結婚の場面でも、2人の結婚の申し出に対して黒川は、菜穂子の病状のことを考えたら結婚するべきではない、と言っています。そんな周囲の批判を押し切って二郎は自分のエゴを貫き、菜穂子もそれを受け入れます。二郎と一緒にいるのは自分の体のためには良くない、でも一緒にいたいということを、菜穂子自身もわかっていたのです。

戦争は嫌いだが戦闘機は好き!

二郎は戦争ということに対してもエゴを貫きます。戦争は嫌いだ、とはっきり口にしているにも関わらず、戦闘機を作る事によって明らかに戦争に加担しています。しかし戦争に加担してしまったことは二郎にとっては仕方なかったことなのです。

なぜなら彼は「飛行機が作りたかった」だけなのです。この映画は、「飛行機を作る」という「風」が胸の中に立ってしまったがために、周りを犠牲にしながらも生きていくしかなかった男の話です。

これは「戦争は嫌いだが戦闘機マニア」という宮崎駿自身、そして宮崎アニメ全般が抱える矛盾とも重なります。次回の記事では『風立ちぬ』で堀越二郎の声を庵野秀明が担当した理由に絡めて、宮崎駿が抱えている矛盾についても解説します。

堀越二郎の声優はなぜ庵野秀明なのか?映画『風立ちぬ』を解説【後編】

2017.04.22