意外と批判も多い?『パッセンジャー』を観た感想と賛否の理由を考察





公開前は「宇宙版タイタニック」という売り文句や期待に胸踊る予告で注目を集めていた今作。でも蓋を開けてみると、ストーリー展開や主人公の行動に対する批判が意外と多かったり・・・。今回は、そんな批判の的になっている要素を踏まえつつ、実際に観た感想をまとめていきます。

人生に潜む岐路を広大な宇宙で描く


出典:ソニー・ピクチャーズ‏公式Twitter

今作の舞台設定は、移住可能な惑星が発見された近未来(今からおよそ400年後とのこと)。
120年をかけて移住先に向かう宇宙船の中で、主人公のジムだけが人工冬眠ポッドの故障で90年も早く目覚めてしまう・・・という物語。他の乗客が目覚めるのは90年後、つまりジムは永遠の孤独を味わうことになるのですが、この映画の見所はこの後のジムの行動です。

絶望の淵に立った時、人はどのような行動を取るのかという部分がしっかりと描かれているように感じました(劇中ではガスが「溺れる者は誰かの手にすがりたくなる」なんて表現をしていました)。

広大な宇宙を舞台にしながらも、人生の岐路に立たされた人間の葛藤にフォーカスするという、悪く言えばハリウッドの常套手段、良く言えば物語構成のお手本のような作品でした。

その後もジムは数々の選択を迫られることになるわけですが、その度に彼は成長していきます。あの宇宙船アヴァロン号の中に人生を凝縮させて描いています。それはヒロインであるオーロラに関しても同じです。ジムによって強制的に起こされてしまった彼女(最初はその事実を知らない)もまた、数々の選択を迫られ、その度に抗い、受け入れ、成長していきます。

2人の男女がどのように運命と向き合うのか。それこそが今作の最大のテーマではないでしょうか。

高く評価された造形美と批判の的になったジムの行動

美術監督によるこだわりのデザインがSF好きにはたまらない


出典:ソニー・ピクチャーズ‏公式Twitter

今作では冒頭から宇宙船の洗練された造形に目を惹かれます。重力を生み出しつつも美しさを損なわないあの構造。SFモノがすきな方にはたまらないはずです。

美術監督を務めたのは、『インセプション』でアカデミー賞にノミネートされた経験を持つガイ・ヘンドリックス・ディアス。今作では400年先の美学を想定して挑んだとのことですが、400年先の美学・・・とても想像が及びません。

船内も、物語や登場人物の感情に沿った造りにしているそうで、孤独感が際立つものとなっています。また、流線型や円を積極的に用いていて、観客が常に視線を動かす仕組みになっているそうです。無機質でありながらも、シーンが変わるごとに違った印象を与える美術セットはまさに製作陣の作戦勝ち。

あの空間でたまに出てくる草木や花も、地球が持つ生命力を感じさせ、閉塞感と開放感を同時に味わえる不思議な体験ができました。

ジムの行動を正否だけで判断できるか?


出典:ソニー・ピクチャーズ‏公式Twitter

さて、この話題を避けては『パッセンジャー』を語れません。何よりも否定派の批判の的になっているジムの行動です。

宇宙船の中で孤独に死を迎えなければいけないことを知った彼は、人工冬眠ポッドで眠るオーロラ(『眠れる森の美女』のオーロラ姫から引用するという強引技!)に一目惚れ。恐らく、一目惚れのレベルだったらまだ我慢できたはずなんです、ジムも。でも、乗客に向けて撮影していた、オーロラの自己紹介を含めたインタビュー映像を見てしまい、あまりに魅力的な彼女にどんどん惚れていく。

他にやることのない彼はオーロラのことが頭から離れなくなり、さらには人工冬眠ポッドをいじれば強制的に起こすことができると知ってしまいます(このあたりから技術者という設定が活きてくる)。

ここで筆者は、自分の立場に置き換えて考えました。いえ考えさせられました。1年以上をたった一人で過ごし、これから先も孤独に耐えながら死を迎えなければならないという状況下で理想の女性を見つけてしまったらどうするか?

・・・起こすという結論に達しました。しかしこれはあくまで筆者の主観で、「ジム最低!」「倫理的に間違っていて感情移入できない」という方もたくさんいたようです。

しかし、自分がその状況に立たされた時、本当に正否だけで判断できるのか?という疑問は捨てきれません。主人公が欲望に負ける姿をあえて描き、その後の展開や成長に焦点を当てていたのは印象が良かったです。

ノリにノッている主役2人が柱となって

美男美女でなければ成立しない物語?


出典:ソニー・ピクチャーズ‏公式Twitter

過酷な状況下で一緒に過ごす人を1人選べるとしたら、誰だって自分の好みの人を選びますよね。劇中で最終的にジムとオーロラが結ばれたのも、やはりお互いに惹かれる部分があっからなわけで。

別にそれは相手が美男美女でなければいけないわけではなくて、一緒にいて落ち着く人であったり、自分にとって魅力的な人であったり、個々人によって対象は変わってくると思います。

では、主役2人が美男美女でなくてもこの映画が成り立つかというと、それはまた別の話だと思います。今作は大衆向けの商業映画のため、より多くの人に受け入れられなければいけないという前提があります。特にハリウッドでは映画は一大ビジネスですから尚更です。

となると、感情移入に導くまでの時間を最小限に抑え、ストーリー展開や映像美に観客を没頭させるためには、数少ない登場人物の中で恋愛を繰り広げる2人は、やはり美男美女である必要があると思います。

「この物語は美男美女でなければ成り立たないじゃないか!」という批判の言葉を耳にしましたが、まったくその通りです。

ですが、そこを批判していては映画そのものを否定することになるのではないでしょうか。映画は五感の内で視覚への情報が最も大切になるのですから。筆者はあの2人が主役だったおかげで、余計な引っかかりを持たずに楽しむことができました。

クリプラのお尻とジェニローの水着の威力


出典:ソニー・ピクチャーズ‏公式Twitter

さて、この映画の第2の見所と言っても過言ではないクリス・プラットとジェニファー・ローレンスのサービスショットの話をしましょう。映画は視覚への情報が最も大切だなんて御託を並べましたが、この2人のサービスショットでその視覚も麻痺しました。

まずクリス・プラットが、その綺麗なお尻を余すことなく見せてくれます。大サービスです。彼の行動に憤慨した女性たちも、「まあ、お尻見せてくれたからいいか・・・」となったことでしょう。そう思いたい。

そして何度となく出てくるジェニファー・ローレンスの水着姿。必要以上にセクシーで、もうそっちが気になってセリフが全然入ってきません。

2人とも美しく、あの宇宙船の造形美とマッチしていて、それだけで世界観が形成されていました。アンドロイド・アーサー役のマイケル・シーンも、ガス役のローレンス・フィッシュバーンも物語に奥行きを与える存在感があり良かったですが、やはり主役2人が今作の柱となっていたのは間違いありません。それは美しさに限らず。

1人でいる時のクリス・プラットのちょっとした表情の機微や、たった数秒間の出来事で感情が激変するジェニファー・ローレンスの振り幅が素晴らしかったです。さすがノリにノッている2人。

想像力をかき立てるハッピーエンド


出典:ソニー・ピクチャーズ‏公式Twitter

映画のエンディングには色々なパターンがありますが、大きく分けた場合、「観客に全てを提示するエンディング」と、「観客の想像力に委ねるエンディング」の2つに分かれると思います。

その場合、今作は後者でした。2人がハッピーエンドを迎えたことを匂わせつつも明確には描かず、90年後に人工冬眠から覚めた他の乗客や乗組員たちの視点から、2人がどんな人生を送ったのかを描いていました。想像力をかき立てられる、個人的には好きな終わり方でした。

しかし、実は元の脚本ではエンディングが違い、ジムが犯した罪に関する物語をより深く描いているようです。ジムとオーロラをアダムとイブ、アヴァロン号をノアの方舟に見立てた物語だったそうですが、ここがハリウッドの悪いところ。罪の所在や人類の起源にも迫るテーマを捨て、無難なSF大作にしてしまいました。

ですので、オーロラがジムを簡単に許し、なし崩し的に彼を受け入れた点については納得できない方も多いかと思います。しかし、危機的状況でオーロラが言った「You die , I die !(あなたが死ぬなら私も死ぬ!)」というセリフに葛藤を乗り越え運命を受け入れた、彼女の決意のようなものが含まれている気がして、あのエンディングもスッと入ってきました。

それから、プールで泳いでいた時に宇宙船が機能トラブルを起こして無重力になり、オーロラが溺れるシーン。あの時、オーロラはジムの気持ちを理解したのではないかと考えています。ガスが「溺れる者は誰かの手にすがりたくなる」と言った通り、オーロラは手を伸ばして助けを求めます。ジムもガスもいなかったあの状況、あのまま無重力が続いていたら彼女は死んでいました。

助けてもらおうと、そこにはいない誰かに向かって手を伸ばしたあの瞬間こそ、オーロラの中で何かが変わった瞬間なのかもしれません。その場で起こった事実だけでなく、彼らのちょっとした感情の変化を読み取ると、今作をより楽しめるかもしれません。