今年のアカデミー賞で話題となった映画『ムーンライト』をいくつかのシーンを取り上げながら、どの様な映画だったのかを解説・考察していきます。具体的なシーンを取り上げてネタバレしているので、鑑賞後に読んで頂くことをおすすめします。
記事の目次
『ラ・ラ・ランド』を抑え作品賞を受賞した『ムーンライト』
第89回アカデミー賞は、作品賞の受賞作を発表し間違えるというハプニングが起こり、日本でも話題となりましたが、大本命と言われた『ラ・ラ・ランド』を抑えて作品賞を受賞したのは『ムーンライト』でした。
『ラ・ラ・ランド』と比べると地味そうな作品ですが、一体この『ムーンライト』の魅力はどこにあるのでしょうか?解説・考察をしていきたいと思います。
黒人・貧困・ゲイという3重のマイノリティを背負った主人公
アカデミー作品賞史上初!主要キャストが全員黒人
今作はアカデミー賞の作品賞、脚色賞、助演男優賞を獲得しましたが、主要キャストが全員黒人の映画が作品賞を獲得したのは今作が初です。黒人奴隷を題材にしたアカデミー作品賞映画に『それでも夜は明ける』がありますが、今作との共通点としてブラッド・ピットが製作を担当したことが挙げられます。
ブラピは映画制作会社「プランB」を2002年に設立して以降、製作として大成功を収めており、長編映画はまだ1本しか撮っていない新人監督バリー・ジェンキンスがここまで注目されたのには、ブラピの影響力が大きかったと言えるでしょう。
1980年代のマイアミ、「麻薬地区」が舞台
主人公シャロンの住んでいる地域はマイアミ、リバティスクウェアの「麻薬地区」と言われる貧困住宅地。年代は具体的には触れてないものの、シャロンの成長から逆算して恐らく1980年代であることが推測されます。
80年代のマイアミはクラックブームの全盛期であり、メデジン・カルテルなどの活動によって中南米、カリブからのコカインが大量に流入していました。当時のマイアミの貧困層とコカインは切っても切れない関係にあったのです。
史上最も美しいゲイの恋愛映画
黒人、家庭は貧しく親がドラッグ漬け、であることに輪をかけて、シャロンは自身がゲイであることに気付きます。今作はこのゲイであるということに最もスポットを当てており、ジャンルとしては「恋愛映画」と言うことが出来ます。具体的には後述しますが、素晴らしい映像表現のお陰で、ゲイを題材とした映画としてはアン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』に並ぶ、美しい映画になっています。
主人公の内面を見事に表現した確かな演出力
言葉ではなく目で語る!シャロンの表情の変化に注目
今作の主人公シャロンはずっと俯いたままで言葉が少なく、思わせぶりとも取られかねない演技が多いのですが、些細な表情の変化でしっかりと心情を語っております。シャロンは少年期、思春期、青年期の3パートに分かれて3人の役者が演じておりますが、3人すなわちシャロンの顔の特徴として、顔面に対して顔の個々のパーツが大きいことが挙げられます。
この特徴を活かしてシャロンは言葉以上に自分の意思を相手、我々観客に伝えています。特に注目すべきは目です。普段俯いているシャロンが相手のふとした言葉に対してチラッと目を向けます。この演技一発でシャロンの心情を語ることができています。
冒頭のシーンから垣間見える演出力の確かさ
具体的なシーンを取り上げて、この映画の演出力を見てみたいと思います。映画の冒頭、シャロンはクラスメートから追いかけられて廃墟に逃げ込みます。そして廃墟の一室に閉じこもり、部屋の隅で丸くなります。
この廃墟は実は麻薬ディーラーの在庫保管場所として使用されており(このシーンの前でディーラーの会話の中で自然に説明されている)、シャロンが閉じこもっている部屋に、マハーシャラ・アリ演じるディーラー、フアンが在庫を確認しにやって来ます。
フアンは鍵がかかった部屋の窓を強引に外して部屋に入り、中にいるシャロンに気付きます。そして部屋のドアを開けて、シャロンを昼食に誘います。シャロンはしばらく黙ったままでしたが、次のシーンでは2人はレストランで客席に座っています。
これら一連の演技はシャロンの心情を表しています。廃墟に逃げ込んで部屋に閉じこもることは、シャロンは周囲から心を閉ざして孤独でいることを表現しています。そこへフアンがやって来て、偶発的にですがシャロンの心に入り込みます。そして閉ざされた心のドアをフアンが開けて、一緒に昼食を食べようという誘いにシャロンが応じます。
これは、シャロンは閉ざした心をフアンにだけは開けるようになる、ということです。2人の信頼関係が出来上がる様子を、少ない言葉、自然な演技の流れにも関わらずしっかりと観客が確信できる形で表現している素晴らしいシーンです。
全編にわたって心情を説明する台詞が少ないですが、上記のように的確な演出によって表現されているので、登場人物の些細な動作や表情の変化の気をつけて見れば、より厚みをもって人物の心情が読み取れるでしょう。
タイトル「ムーンライト」の意味とは?
CG処理による美しい光の表現
この映画の特徴として、映像が美しいことが挙げられます。特に、マイアミに降り注ぐ太陽の光や、黒人の肌に当たった光の表現が素晴らしいのですが、この映画では光の表現にCGを使用しております。「カラーリスト」という職業の人がおり、映画で撮影されたフィルムに全て後からデジタル加工して光を表現しているのです。
どうしてここまで光の表現にこだわっているかというと、それはこの作品のテーマと光が密接に関わっているからです。
「黒人も青く輝いて見える」
フアンがシャロンを連れて海に泳ぎに行くシーンで、フアンが昔聞いた話としてこんなことを言います。「夜の海岸を歩いていると、月の光に照らされて黒人も青く輝いて見える」。この言葉が今作のタイトルの意味なのですが、これは「人間は今の自分とは違う自分になることができる」ということを意味しています。
劇中ではこの言葉通りに、シャロンに月の光が当たって肌が青くなっている場面が何度も登場しますが、シャロンの人生が変わろうとしている瞬間にそのような演出が意識的になされているのです。
特に印象的なのは、青年に成長したシャロンが初恋の相手ケヴィンに会いに行く場面です。ガラス張りのレストランで向き合って喋っているうちは、特に光の演出はなかったのですが、ケヴィンがジュークボックで「Hello Stranger」を流し、シャロンを見つめた時に、シャロンに青い光が当たり、彼の人生の中で決定的なことが起こっていることを示しています。「Hello Stranger」の歌詞の意味から、ケヴィンもシャロンに会いたがっていたことが分かるというシーンです。
自分の人生を決めるのは自分しかいない
今作で描かれているのは主人公シャロンの成長であり、人生の中で最も重要な決断をする瞬間を描いています。シャロンは少年期から黒人、貧困、ゲイであることを理由に周囲からいじめられており、本人も彼らから逃げてばかりでした。人と話す時は目を合わさず、俯いたまま、質問にも全く答えません。
そんな彼が劇中初めて自分の心情を口にするのは、初対面の主人公をあだ名である「リトル(ちび)」ではなく、本名である「シャロン」と呼んでくれたテレサ(フアンの妻)でした。これは、俺のことを「リトル」ではなく「シャロン」と呼んでくれ、という彼のささやかな意思表示です。
最初はちょっとした意思表示しか出来なかったシャロンがフアンやテレサ、ケヴィンとの交流を通して「自分が望んでいる自分」を少しずつ勝ち取っていくのです。
この映画がアカデミー賞を受賞した意味とは?
今年1月、アカデミー賞の前哨戦と言われるゴールデングローブ賞の授賞式での、生涯功労賞を受賞した名女優メリル・ストリープのスピーチが話題になりました。ドナルド・トランプが障害者のモノマネをして笑いを取ったことを批判するとともに、俳優の仕事というのは自分たちの知らない人の役を演じるために、その人を理解しなければならない、と彼女は言いましたが、これは多様性を重んじるハリウッド映画の理念そのものです。
『ラ・ラ・ランド』も夢のようなハリウッドを描いた素晴らしい映画です。しかし、アカデミー会員が選んだのは、ハリウッドを描いた映画ではなく、全く知らないマイノリティを描いた映画でした。我々とは全く違う世界に住んでいるシャロンですが、今作を観た人ならきっと彼に思いを馳せてしまうでしょう。文句なしのアカデミー作品賞映画でした。