映画『マルホランド・ドライブ』はストーリーが複雑で、散りばめられた謎の多い作品です。今回はこの映画の散りばめられた謎を考察していきたいと思います。ネタバレが前提となりますので、未鑑賞の方はぜひ鑑賞後に参照して頂くことをおすすめします。
「わたしのあたまはどうかしている」
上記の言葉は今回の映画のキャッチコピーです。映画『マルホランド・ドライブ』は2001年に公開され、その作りこまれた難解なストーリーが話題となりました。今回はこの『マルホランド・ドライブ』の伏線考察を行いたいと思います。
ハリウッドの闇を描いた映画
『マルホランド・ドライブ』とは?
『マルホランド・ドライブ(Mulholland Dr.)』とは実際にロサンゼルスにある通りの名前であり、そこからハリウッドを一望することが出来ると言われています。つまり、この映画の舞台がハリウッドであることを示すとともに、現実のハリウッド業界について語っている映画であるとも言えます。
登場人物たち
主人公のベティはハリウッドで成功することを夢見る若い女性。ベティが出会うのは事故で記憶喪失になった「リタ」と名乗る黒髪の女性。「リタ」とは名女優「リタ・ヘイワース」から取った名前であり、ハリウッドで成功している女優であることが暗喩されています。2人のストーリーとは別に登場するのは映画監督アダム。この映画は若手女優、大物女優、映画監督の3人が織り成す、ハリウッドの夢と現実を巡る話です。
夢と現実の混在した世界
映画の冒頭の意味
映画の冒頭、若い男女たちが踊っている映像が流れますが、違和感があるのは実際の男女の姿と背景の影が一致していないこと。これは体と影、「実」と「虚」の対比を意識させるためであると考えられます。直後に出てくる、ベティの成功した「虚」の姿と、現実の彼女の「実」の姿が対比になっていることを示しています。
ベティの現実のストーリー
既に映画を観た人ならわかるように、この映画の前半は全てベティの夢のストーリーでした。この映画の本当のストーリーを理解するためには、映画の中盤、劇場「クラブ・シレンシオ」以降の現実のストーリーを先に見ていく必要があります。後半の現実のストーリーで起きたことが、映画の前半の夢のストーリーで起きていることと呼応しているためです。
現実のストーリーはこうなります。主人公の名前はベティではなくダイアン。女優としてスターになることを夢見てカナダからやってきた田舎娘で、何度オーディションを受けても大した役を貰うことができません。ある映画のオーディションでダイアンはカミーラと出会います。彼女こそが前半の夢のストーリーの中における「リタ」と名乗る黒髪の女性でした。ダイアンはカミーラと愛し合うようになり、次第に彼女に依存していきます。カミーラはこのオーディションで主役を勝ち取り、以後ハリウッドで成功していきます。
成功したカミーラはある日、一方的にダイアンに別れを告げ、更にカミーラはダイアンを自身のパーティーに招いて、映画監督アダムとの婚約を発表します。愛する人を信じられなくなったダイアンは、殺し屋にカミーラの殺害を依頼し、そしてカミーラ殺害の自責の念に押しつぶされて発狂したダイアンは自殺してしまいます。
夢のストーリーの意味
前半の夢のストーリーは、後半の現実のストーリーにおけるダイアンの「願望」が形となって現れているものです。主人公のベティ(ダイアン)はリタ(カミーラ)から頼りにされており、オーディションを1回受けただけで業界関係者から絶賛されます。現実でダイアンを評価なかった映画監督のボブは、夢の中では「時代遅れの監督」とけなされます。これら全てはダイアンの願望が反映されています。
アダムは夢の中では全くベティとリタに関わってきません。更に、映画のキャスティングで「カミーラ」という女優に関して製作会社と揉めており、アダムの妻はマッチョ男と不倫しています。これもダイアンの、私とカミーラの関係に立ち入って欲しくない、カミーラを奪ったアダムに酷い目に遭ってほしい、という願望が現れたものです。
散りばめられた謎
ウィンキーズ
現実のストーリーでウィンキーズが出てきたのは1回、ダイアンが殺し屋にカミーラの殺害を依頼するときです。このウィンキーズのシーンは前半の夢のストーリーに様々な形となって現れています。2人のテーブルのコーヒーカップ、ウィンキーズの店員の名前が「ベティ」、殺し屋がカミーラ殺害に成功したときに渡す「青い鍵」などです。
つまり、このカミーラ殺害を依頼するウィンキーズの場面がダイアンにとって非常に重要な瞬間だったことを示しています。映画の序盤、殺し屋が「世界の全てを網羅した電話帳」を持っている男を殺害するシーンがありましたが、この殺害は関係のない人物も巻き込んでしまう、あまりにもお粗末なものでした。これも、ダイアンが本心ではカミーラ殺害が上手くいかないことを願っていたためです。
現実のウィンキーズで、入口近くのレジに立っていた男もダイアンと目があったために夢のシーンに登場します。レジの男は前半の夢のシーンでは、「怖い夢を見た」「あなたはとても怯えていた」「全てはこの店の裏の男のせいだ」と言います。レジの男の言葉は全て、この映画の前半部分のこととダイアンのことを示しています。
レジの男がその存在に怯えており、何の説明もなく登場する「ウィンキーズ裏の男」はダイアン本人だと言うことができます。レジの男の言葉や、映画のラストにスポットライトを浴びるダイアンの顔と「裏の男」の顔が重なる点からもその様に推測できます。
老夫婦
映画のオープニング、スポットライトを浴びるベティに謎の老夫婦が寄り添っています。続いて映画の序盤、ベティがハリウッドに着いたときにも何故か一緒に同一の老夫婦が付き添っています。会話からベティとは飛行機内で出会ったことが推測できるのですが、この老夫婦は終盤、ダイアンが発狂して自殺へと向かう場面でも幻覚として登場します。
お爺さんの方はメガネをかけており、お婆さんの方は笑顔になった時の頬の膨らみが印象的です。この老夫婦は映画の序盤でベティを見送った後、リムジンの中で不気味な笑顔を浮かべます。この2人の笑顔と現実のストーリーで一致するものは、ダイアンの目の前で婚約を発表したカミーラとアダムの笑顔であるため、この老夫婦はカミーラとアダムと言うことが出来ます。彼らは、「初めからカミーラはダイアンのことを心の中では嘲笑していたのでは」というダイアンの疑心が生んだ存在なのです。
「クラブ・シレンシオ」
映画の中盤、2人が劇場「クラブ・シレンシオ」に行くことで、この夢は終わります。その劇場の催しで「ミュート付きトロンボーン」が演奏されますが、これは「皆さん観客が、実際に存在していると思っているものは全て幻である」ということを意味しています。これは前半の夢のストーリーのこととも言えますし、ダイアンとカミーラの関係とも言えます。ハリウッドの実態を描いているという点から見ると、「映画」そのものもある種の幻だと言っているとも捉えられます。
その後、2人は「泣き女の歌」を聴きます。この歌の歌詞は、愛する人に捨てられた女の心情を歌ったものですが、これはダイアンの心情そのものです。この曲を聴いて2人は涙を流し、自然と寄り添い合ったところで、「青い箱」と「青い鍵」がピッタリ合い、真実が明らかになります。つまり、カミーラもダイアンの心情を分かり、再び2人は理解し合えたときに、夢のストーリーは終わるのです。
「シレンシオ」とは「お静かに」という意味の他に「黙祷」という意味もあります。つまり、前半の夢のストーリーはダイアンとカミーラの死後、黄泉の世界での話とも言えます。映画のラストも「シレンシオ」という台詞で終わります。2人の魂、そしてダイアンのカミーラへの想いと散り去った夢、これらへの弔いでこの映画は終わるのです。
再度見直すと色々と見えてくる
一度鑑賞しただけでは今作の全貌を把握することはまず不可能ですので、ぜひ2、3回と観ることをおすすめします。今回触れた要素以外にも、夢に出てくる人や物の一つ一つが現実のストーリーでしっかりと意味を持つので、きっと初見時の印象とは全く違う映画体験が経験できることでしょう。